遅ればせながら、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
皆様にとって素晴らしい年になりますよう、お祈り致します。
2011年1月9日日曜日
2010年8月19日木曜日
『芹沢銈介美術館(石水館)』と『長谷川現代美術館(カフェダダリ)』
先週末、静岡の実家に帰省した際、車を借りて相棒と『芹沢銈介美術館(石水館』と『長谷川現代美術館(カフェダダリ)』に行ってきました。
石水館をみようと思ったのは、やはり、7月の白井晟一展などに触発されたことはいうまでもありません。
《石水館》
久しぶりに訪れた、登呂遺跡は新しく博物館が建っていたりと10年前とは周辺が一変していましたが、石水館は当時のまま。
アプローチからみえる池の噴水も健在でした。
外壁を石(紅雲石)で覆われてるのでさながら要塞のようで広い平屋のため全貌は、遠く離れた位置からみないとわからない。登呂遺跡という時間から解放された遺構と同じように在りたかったのだろう。白井は石水館を「花の砦」と呼んでいたそうだ。季節に応じて花が咲くように植裁にも気を使ったようだ。白井晟一が、完成を確認した最後の作品といわれる。
久しぶりに行ってみて、これはロマネスクの教会のイメージがあったのではないかということに新たに気づく。建築の重さ、空間の闇が光との関係で際立っていた。そのような建築の中で改めて気づくことは、展示されている芹沢銈介の意匠の軽やかさが、逆に浮きたってみえた。特に聖堂の塔のような展示室では壁一面に、芹沢が施した団扇がかざれていたのが印象的だった。
ただ、残念ながら白井の意図通りには使われていない。池に面した展示室は日光を避けるように、カーテンが閉まっている。展示室内の噴水は、水がでていず干上がっている。
展示室の湿度管理、日射で作品を傷める恐れなど理由は様々だろうが、例えば1980年と違って窓にフィルムを貼ったりすることで回避できるような工夫はできる気がする。
今回は、週末お茶をふるまって下さっていて、特別室から中庭を眺めながら一服することができたのは良い経験だった。
芹沢銈介美術館 http://www.seribi.jp/
《カフェダダリ》
静岡の用宗駅の先、大崩海岸を進んでいって焼津にさしかった、岬(というほどでもないけど)の端にこのカフェダダリはある。
2006年に訪れたcolleenが、とても素晴らしい場所と言っていたあのカフェだ。カフェダダリは、個人のコレクションを併設した美術館兼カフェというところか。曇り空のジメジメした空気だったが、やはりここからの眺めは絶景だった。
相棒がいたお陰もあって、勇気をもってお店の方に話しかける。もともとは、外国人の別荘だったところに、美術家でもある旦那さまが増築に増築を重ね、現在の海との関係をつくりだしたということ。colleenの話をしたら現在は、閉鎖されいてる様々な展示空間をみせてくださった。
常々思っていたのだけど、この建築は、ジャン-リュック・ゴダールの映画『軽蔑』にでてくる、カプリ島に建つマラパルテ邸の様ですねという話を奥様にさせていただく。
はじめて訪れた時から、ずっとこのゴダール映画を思い出していた。
ご主人が鍛冶屋にお願いして作った鉄の階段も素晴らしい。写真はありませんが・笑
色々なアート作品(ウォーホール、リキテンシュタイン、ガウディデザインの把手、具体のアートなどなど)を堪能して満足した日だった。
ちなみに、ダダリが舞台となったCM(生理用品の)は、こちら。(ただし、白い室内は違うと思います)特に最後の窓からの景色。
石水館をみようと思ったのは、やはり、7月の白井晟一展などに触発されたことはいうまでもありません。
《石水館》
久しぶりに訪れた、登呂遺跡は新しく博物館が建っていたりと10年前とは周辺が一変していましたが、石水館は当時のまま。
アプローチからみえる池の噴水も健在でした。
| アプローチから池の噴水をみる |
| エントランス |
ただ、残念ながら白井の意図通りには使われていない。池に面した展示室は日光を避けるように、カーテンが閉まっている。展示室内の噴水は、水がでていず干上がっている。
展示室の湿度管理、日射で作品を傷める恐れなど理由は様々だろうが、例えば1980年と違って窓にフィルムを貼ったりすることで回避できるような工夫はできる気がする。
今回は、週末お茶をふるまって下さっていて、特別室から中庭を眺めながら一服することができたのは良い経験だった。
| 出口の半外部空間 |
《カフェダダリ》
静岡の用宗駅の先、大崩海岸を進んでいって焼津にさしかった、岬(というほどでもないけど)の端にこのカフェダダリはある。
| 長谷川現代美術館 カフェダダリ |
| 水平線が印象にのこるカフェからの風景 |
相棒がいたお陰もあって、勇気をもってお店の方に話しかける。もともとは、外国人の別荘だったところに、美術家でもある旦那さまが増築に増築を重ね、現在の海との関係をつくりだしたということ。colleenの話をしたら現在は、閉鎖されいてる様々な展示空間をみせてくださった。
常々思っていたのだけど、この建築は、ジャン-リュック・ゴダールの映画『軽蔑』にでてくる、カプリ島に建つマラパルテ邸の様ですねという話を奥様にさせていただく。
はじめて訪れた時から、ずっとこのゴダール映画を思い出していた。
ご主人が鍛冶屋にお願いして作った鉄の階段も素晴らしい。写真はありませんが・笑
色々なアート作品(ウォーホール、リキテンシュタイン、ガウディデザインの把手、具体のアートなどなど)を堪能して満足した日だった。
ちなみに、ダダリが舞台となったCM(生理用品の)は、こちら。(ただし、白い室内は違うと思います)特に最後の窓からの景色。
2010年8月6日金曜日
白井晟一 原爆堂
7月30日、東京造形大にて『SIRAI,いま 白井晟一の造形』展を慌てて見学してきた。
小沢先生が展覧会をご覧になっていて、白井晟一のベルリン留学時代〜帰国のこと(林芙美子との恋愛、ソ連に滞在していたことなど)について、そして原爆堂のことについて書かれていたので、これはと思いみてみることに。
原爆堂が丸木夫妻の『原爆の図』を展示するためのものだったとは、建築を勉強していながらも知らなかったので、もう勉強するつもりで。
ちなみに、静岡市出身なので芹沢銈介美術館は原風景のようなもの。
うちから横浜線相原駅までは約1時間。
造形大の美術館は、マンズー美術館という白井の設計を実現した美術館でした。これぞインゴットのような塊の中に吸い込まれるように入っていく。排他的でもあるが、これが両義的な印象。
オリジナルの「原爆堂」のパースや図面などが展開する。模型は造形大の院生がつくったらしい。断面模型には、「原爆の図」が展示されている様子が再現されていた。
手描きのパースは淡く、しかしながら存在感がある強い表現となっている。水面に映る原爆堂は恐らく、その上に建っているであろう原爆堂を揺らいだ存在として細かく描かれている。とても不思議な絵(パース)だ。
他にも様々なスケッチや、「書」が展示されていたり装幀を手がけたりして多才な人だったんだな〜と。
そこで、実家に眠らせていた「白井晟一研究Ⅰ〜Ⅴ」http://
と「無窓」をお取り寄せして読んでみることにした。
まだパラっとしか読んでないので詳細は後日にしますが、秋田で「秋の宮村役場」の計画が実現後、秋田でも仕事が展開せず苦渋に満ちていたようだ。 役場では、雪国の辛さ、暗澹たる気持ちを解消しようと、明るく軽い建築を試みかつ機能的にも暖かさを維持できるような工夫をしていたようだ。白井昱磨さん のテキストによれば「秋の宮村役場で達成されたような、純粋で清澄な愛の悲願と情熱を、内容として表出することはその後稀である。」ほどだったのにもかか わらず。情熱と決意は忍耐と覚悟へと変わっていく。
「白井自身の思想のリアリティーに対する不信と懐疑としてあらわれるだろう…」
そのような、現実(事実)と自己の認識のジレンマに悩んでいたようだ。そのことが原爆堂をして、個別(固有)の問題性を含みながらも原理的な造型へと一層徹底的に向かわせた要因の一つだった。
また、昱磨氏によれば、丸木夫妻の「敷地も工費もそこにおさめられる美術品の数や大きささえも未知なまま」原爆堂の設計を開始したらしい。
白井はつねづね「建築家は戦争に反対しなければならない」と語っていたそうで、「戦時中は軍国主義によりそい戦後、一転して民主主義と平和ととな える日本の有名な建築家達がとった姿勢に対して、深い疑念と批判をもっていたと推測される。」「建築家としてなすべき、そしてなしうる反対がどのような形 で達成されるべきということか」を考えてたようだ。
建築はイデオロギーを超えて、人間の為につくられるべきという某コルブの態度なかなか理解し難い。
丸木夫妻からも賛意をもらい熱心な支持者の声援(支援じゃないんだ!)もあって、一応計画設計は終わったということらしい。けど、実現しない。実現は前提のつもりだったのに…。ということだ。
2010年7月29日木曜日
SUMIKA project見学会
今日は、いつもお世話になっているフクダ・アーキテクツのお二人にお誘いいただき、栃木県の宇都宮まで東京ガスさんの「SUMKIA project」の見学会に出掛けました。
伊東豊雄さんのプロデュースで伊東さんを含めて4人の建築家による実験住宅、パヴィリオンが2008年に建てられました。
伊東豊雄さんの「SUMIKA パヴィリオン」、西沢大良さんの「宇都宮のハウス」、 藤本壮介さんの「House before House」、藤森照信さんの「コールハウス」の4つ。
4人に与えられたテーマはプリミティブな住処ということだったようです。
東京ガスさんといえば、エコウィルなどガスで発電したりということで最新の設備を提供しているのにもかかわらず、プリミティブ・笑
この矛盾は、どう建築家の作品にかかわってくるのかが非常に興味深いところでした。
テクノロジーに支えられながら現代の生活の営みがあり、時代に逆行するのは難しい気もします。
伊東さんのパヴィリオンは、以前にサーペンタインギャラリーで計画された案の延長にこのパヴィリオンがあるのではないかということを察しました。4本の柱+集成材によってつくられる幾何学的(ボロノイ分割による図形)スケルトンが外周を多い、さらにガラスと不燃ボード+FRPで仕上げる。ジョイントの加工など、まさに今の技術を使いながら、原初的な幾何学パターンをつかい、まるで確かに自然の中の木陰のようなおおらかな場にいる感じがします。ただ、ボードとガラスのとり合いをシールのみで処理しているところが気になりました。ここまでスレンダーだと、風や地震などで「揺れる」、それに耐えうる方法が他になかったのかと思いました。
続いて、バスに移動して、「宇都宮のハウス」と「House before House」のところへ。
西沢さんの「宇都宮のハウス」は、おおらかな平屋建てで、自然の芝生が入り込んできたり、建具を閉じればインティメートな空間となり、開くと周囲の環境と一体となった広がりのある場となる。さらに、工夫されたこととして、陽の光により、時間を感じることができるというもの。住宅として、こういう変化があるということは大切なのだなと素直に思える作品でした。ただ、ルーバー状の天井の仕上げが簡易すぎているが故に、2年の経年変化後、一部が落ちてしまっていたのが残念。芝生も枯れていたり。
藤本さんの「House before House」は、コンセプトは、ものすごくよくわかる。安藤忠雄さんの「住吉の長屋」や荒川修作さんの「養老天命反転地」のような、外部空間の中で生活し、そして身体を覚醒させるかのような計画には好感をもちました。が、本当に人がここで暮らせるのだろうか。あまりにも個室などをバラマキ過ぎてはいないだろうかなど、非常にきになるところでした。また、西沢立衛さんの「森山邸」にも似ている気がします。全ては個人である、家族が大人数などで集うはずがない。という話だったらわかる。個室群住居をもっと楽しくしようというような。
藤森さんの「コールハウス」は、外壁を焼杉でしあげられた、木造建築でありつつも洞窟をイメージされたというお話のとおり、人間の本来的な集う場とは、かくあるべきというようないい空間でした。しっかりと求心性のある二股の柱も存在感があり、象徴として機能していました。しっかりと、おなじみの茶室もありました・笑
小さいながらも楽しい建築になっていたと思います。藤森さんの場合は、もう手馴れたというか円熟さがあるというか、巧さが光ります。
また、きっとネーミングもレム・コールハースとかけているに違いない・笑 遊び心満載な気がしました。
現代を輝く建築家の共演ということで、楽しくもあり、色々と考えさせられました。技術とプリミティブな人間の本来性はどこで出会うか。
これは、私も追求したいところです。
伊東豊雄さんのプロデュースで伊東さんを含めて4人の建築家による実験住宅、パヴィリオンが2008年に建てられました。
伊東豊雄さんの「SUMIKA パヴィリオン」、西沢大良さんの「宇都宮のハウス」、 藤本壮介さんの「House before House」、藤森照信さんの「コールハウス」の4つ。
4人に与えられたテーマはプリミティブな住処ということだったようです。
東京ガスさんといえば、エコウィルなどガスで発電したりということで最新の設備を提供しているのにもかかわらず、プリミティブ・笑
この矛盾は、どう建築家の作品にかかわってくるのかが非常に興味深いところでした。
テクノロジーに支えられながら現代の生活の営みがあり、時代に逆行するのは難しい気もします。
伊東さんのパヴィリオンは、以前にサーペンタインギャラリーで計画された案の延長にこのパヴィリオンがあるのではないかということを察しました。4本の柱+集成材によってつくられる幾何学的(ボロノイ分割による図形)スケルトンが外周を多い、さらにガラスと不燃ボード+FRPで仕上げる。ジョイントの加工など、まさに今の技術を使いながら、原初的な幾何学パターンをつかい、まるで確かに自然の中の木陰のようなおおらかな場にいる感じがします。ただ、ボードとガラスのとり合いをシールのみで処理しているところが気になりました。ここまでスレンダーだと、風や地震などで「揺れる」、それに耐えうる方法が他になかったのかと思いました。
続いて、バスに移動して、「宇都宮のハウス」と「House before House」のところへ。
西沢さんの「宇都宮のハウス」は、おおらかな平屋建てで、自然の芝生が入り込んできたり、建具を閉じればインティメートな空間となり、開くと周囲の環境と一体となった広がりのある場となる。さらに、工夫されたこととして、陽の光により、時間を感じることができるというもの。住宅として、こういう変化があるということは大切なのだなと素直に思える作品でした。ただ、ルーバー状の天井の仕上げが簡易すぎているが故に、2年の経年変化後、一部が落ちてしまっていたのが残念。芝生も枯れていたり。
藤本さんの「House before House」は、コンセプトは、ものすごくよくわかる。安藤忠雄さんの「住吉の長屋」や荒川修作さんの「養老天命反転地」のような、外部空間の中で生活し、そして身体を覚醒させるかのような計画には好感をもちました。が、本当に人がここで暮らせるのだろうか。あまりにも個室などをバラマキ過ぎてはいないだろうかなど、非常にきになるところでした。また、西沢立衛さんの「森山邸」にも似ている気がします。全ては個人である、家族が大人数などで集うはずがない。という話だったらわかる。個室群住居をもっと楽しくしようというような。
藤森さんの「コールハウス」は、外壁を焼杉でしあげられた、木造建築でありつつも洞窟をイメージされたというお話のとおり、人間の本来的な集う場とは、かくあるべきというようないい空間でした。しっかりと求心性のある二股の柱も存在感があり、象徴として機能していました。しっかりと、おなじみの茶室もありました・笑
小さいながらも楽しい建築になっていたと思います。藤森さんの場合は、もう手馴れたというか円熟さがあるというか、巧さが光ります。
また、きっとネーミングもレム・コールハースとかけているに違いない・笑 遊び心満載な気がしました。
現代を輝く建築家の共演ということで、楽しくもあり、色々と考えさせられました。技術とプリミティブな人間の本来性はどこで出会うか。
これは、私も追求したいところです。
2010年7月28日水曜日
神奈川県立近代美術館 鎌倉館
そんな訳で、鎌倉の神奈川県立近代美術館鎌倉館に久々に行ってみました。
以前に保存のことをやっていて、足繁く通ったのでなんだか懐かしい気分でした。
1階は大谷石(躯体は鉄骨)で仕上げられていて、半外部空間が巡っています。2階が展示空間。
2階の展示空間は閉じていて美術展を鑑賞した後、1階に下りて、平家池を眺めながら外気の中で心も開いた気持ちで展覧会を反芻したり、蓮池を眺めながらボーっとできる場所になっています。コルビュジェの「農村計画」を参考にして作られたというこの美術館。まさに、コルビュジェの様な建築でもありますが(しかも、師匠に先駆けて美術館を竣工させている)そこは、坂倉氏のパリ万博日本館での経験、そして先にあった木々を伐採せずに建てるという配慮など坂倉準三が熟考した結晶としての建築がここにあるのだと思います。
以前に保存のことをやっていて、足繁く通ったのでなんだか懐かしい気分でした。
| エントランス |
1階は大谷石(躯体は鉄骨)で仕上げられていて、半外部空間が巡っています。2階が展示空間。
2階の展示空間は閉じていて美術展を鑑賞した後、1階に下りて、平家池を眺めながら外気の中で心も開いた気持ちで展覧会を反芻したり、蓮池を眺めながらボーっとできる場所になっています。コルビュジェの「農村計画」を参考にして作られたというこの美術館。まさに、コルビュジェの様な建築でもありますが(しかも、師匠に先駆けて美術館を竣工させている)そこは、坂倉氏のパリ万博日本館での経験、そして先にあった木々を伐採せずに建てるという配慮など坂倉準三が熟考した結晶としての建築がここにあるのだと思います。
| 2階から1階に降りる階段 奥は蓮池が展開 |
| 蓮池に面したピロティ下 冬は水面に反射した陽の光が天井を照らす |
| 中庭 かつてはここで批評会などが行われた 彫刻はイサム・ノグチ |
2010年7月20日火曜日
大谷石の可能性
石という素材を壁に使ってみたりすることは、私にとっても非常に興味があることです。例えば、神奈川県立近代美術館の鎌倉館本館には、大谷石の粗石が使われています。神奈川県立近代美術館の鎌倉館本館が竣工したのは1951年で、いわば戦後の貧しい時代です。設計は坂倉準三氏です。鉄骨も不足しているなか当時の神奈川県知事内山知事が「貧しい時代にこそ文化を!」という粋な方針で神奈川県立近代美術館や神奈川県立音楽堂の建設に力を注いだと言われています。
確かに、当時、近美の現場統括を行った駒田先生にインタビューした際、予算が合わなかった為きれいな大谷石を使うことができなかったというお話を伺いました。しかし、ル・コルビュジェの事務所で「マテの家」の実施設計を行っていた坂倉準三は、この時も粗石を使っていたといいます。なので、この近美でも粗石仕上としたという話でした。確かに予算的にも粗石の方が安価であったということもあるそうですが、粗い方が恐らく、建築の「他者性」というものが表現できたのではないかと思います。
ふと知人のコサージュ作家、遠藤さんから今回、展覧会を行う場所について大谷石とのコラボレーションについてのメールが来たため、今まで私が経験した近美を通して思いを巡らせた次第でした。
確かに、当時、近美の現場統括を行った駒田先生にインタビューした際、予算が合わなかった為きれいな大谷石を使うことができなかったというお話を伺いました。しかし、ル・コルビュジェの事務所で「マテの家」の実施設計を行っていた坂倉準三は、この時も粗石を使っていたといいます。なので、この近美でも粗石仕上としたという話でした。確かに予算的にも粗石の方が安価であったということもあるそうですが、粗い方が恐らく、建築の「他者性」というものが表現できたのではないかと思います。
ふと知人のコサージュ作家、遠藤さんから今回、展覧会を行う場所について大谷石とのコラボレーションについてのメールが来たため、今まで私が経験した近美を通して思いを巡らせた次第でした。
2010年6月18日金曜日
リーフレット
以前より、暇をみて作成しておりました、当事務所のリーフレットが完成しました。
まだ試作の域を脱し得ませんが、ご興味、ご希望の方がおりましたらe-mailにてご連絡いただけたらと思います。
今回は「富士塚の家」ができるまで、どのようなことを考えながら設計を進めていったか、またどのような建築になったかを、このプロジェクト以前の2物件を紹介しつつ、解説をしております。
どうぞ宜しくお願い致します。
まだ試作の域を脱し得ませんが、ご興味、ご希望の方がおりましたらe-mailにてご連絡いただけたらと思います。
今回は「富士塚の家」ができるまで、どのようなことを考えながら設計を進めていったか、またどのような建築になったかを、このプロジェクト以前の2物件を紹介しつつ、解説をしております。
どうぞ宜しくお願い致します。
登録:
投稿 (Atom)

.jpg)
.jpg)