2012年9月6日木曜日

恩師の自邸

8月のお盆前に、area045の方々に混ざって、大学の恩師である建築家・室伏次郎さんの自邸を訪問するという機会がありました。
僕は大学院生の頃、ここでゼミを行ったので訪れたことがあり、今回で2度めの訪問です。しかし、あれから15年以上の歳月が経っていました。
かつてはRCの壁だけの建築だったが現在は屋上緑化をしている
この家は、当初、室伏さんのご家族と奥様の親戚のご家族で住まうと共同住宅として設計されました。室伏さんがまだ30歳だったころです。現在にも通じるかもしれない、極端な資金不足と狭小の敷地条件のもとででの計画でした。当然、予算が少ないわけですから全部を決めてつくることはできないし30歳で決めたことは恐らくもっと歳を重ねた時に足枷になるかもしれない。住むなんてことは(住いの設えなどだと思います)、自由にやっていったらどうだろうという決断をするわけです。
そこで、コンクリートの厚い壁を用いたシェルターをつくることにしたそうです。都市の中で個人としての場所を確保しながら、街と個人を結ぶ家。コンクリートの壁は、普遍的でもあるし安心感もある。ただ、操作したのは開口のデザインのみを行ったとのことでした。
1,2階をご親戚家族、そして3,4階が室伏さんのご家族が住まうという計画だったので、できるだけ平等に扱ったそうで平面も2階と3階は、略同じプラン。
中央にいらっしゃるのが室伏次郎さん

4階から3階をみる
その後、時代が変わり、この家の1,2階に住まわれていたご家族はでて行き、2階を人に貸して、1階を室伏さんの息子さんたちの場所として住んでいた時代があったり、現在では、1階が室伏さんの書斎になっていました。
そして、これからは、三男さんご夫婦が1,2階に住い、いわば現在でいうところの2世帯として住まわれるとのことでした。
この建築が建てられて42年。室伏さんご夫婦だけが定住者ですが、色々な家族や人がこの家に住い、また帰ってきてこれから住むというとても懐の深い家であると言っていいでしょう。それも、本来人の行動を制限する分厚いコンクリートの壁が逆に人の生活の自由さを保証しているということでもあると思います。そして普遍さを獲得している家であるとも。

街との関係をつくる開口

遺構
廃墟、遺構に接するとき、人は自由だ。
廃墟は当然のことながら、用を捨てた建築である、人はそこに空間そのものを見る。遺された裸の空間の残余の部分を想像し、徘徊する人を想い、見るものは想像力のなかで、その用を捨てた建築と自由に応答する。そこにあるのは、見る者それぞれの心のなかにある建築なのだ。
制約の多い、機能的要請に満ちた都市住居のなかに、見極められた不可欠なものとして遺された、空間をつくる原形的なものとは、生活のうちに埋め込まれたこの遺構のようなものだ。(『埋め込まれた建築』室伏次郎著 住まいの図書館出版局 1989年)

奇しくも、「廃墟」について考えさせられているのでした。というか、モノそれ自体と身体とがどう関わるかについてといってもいいかもしれませんが、それについてはまた今度。