2010年4月10日土曜日

Pina Bauschについて

当事務所の「Idea」にも書かせてもらいましたが、Pina Bauschという人についてご存知ない方に補足説明が必要かと思いました。
Pina Bauschは、ドイツの振付家で演劇とダンスを融合したかのような「タンツテアター」という形式といいましょうか、そのような舞台作品をつくり続けてきました。

ヴッパタール舞踊団の舞台監督に就任したのが、1973年です。当初は、ヴッパタールでダンスといえば、バレエなど古典的な表現が主流だったらしいのですが、彼女がつくる作品は、そのような形式から逸脱している。したがって、お客さんも入らず、これが舞台か?と批判にさらされていたといわれています。
代表作と言われる「カフェ・ミュラー」は、(ペドロ・アルモドバル監督の「Talk to Her」でその断片を映像でみることができますが )人生に失望した女性があるカフェに入ってくる、カフェで絶望のあまりに打ちひしがれながら動きまわり、男が彼女が通れるようにバラバラに配置されている椅子を動くたびにどかしていく。なんてストーリーを書いては、きっとこの舞台を描いていることにはならないと思います。ストーリーがピナの作品の重要な主題ではないからです。ただ、舞台をみて実感することは、人間の深い哀しみ、出会い破れてゆく様、生きる困難さを表現するが故に逆に、それが生きているということなのだという事実が、ものすごく伝わってくる作品でした。哀しみが反復されると滑稽に映ったり、様々な生にまつわるシーンを突きつけられます。

 私が初めて、ピナの舞台をみたのが99年。「フェンスター・プッツァー」という香港がイギリスから中国へ返還された時期の所謂、都市シリーズの作品と、ピナ自身が踊った「ダンソン」、「タウリスのイフィゲネイア」の三作品を鑑賞しました。「フェンスター・プッツァー」では、舞台と客席の境界が溶けてゆく感覚、花の山が喜びの象徴に変わったり、照明によって砂漠の山と化したりという多義性に驚き、「ダンソン」のピナの踊りは、上半身しか動かしていないのに水の映像と呼応して、水のような生命の源を感じさせられたという衝撃、そして「タウリス〜」は初期の作品だけあって、舞台が重厚な絵画のような世界になるという驚き、といった今でもシーンが思い出されるほど、強烈な体験でした。

その後、ヴッパタール舞踊団が来日する度に追ってきました。ダンサーに質問してそれをダンスの振付として、何度も何度も、その質問の投げかけを繰り返すという独特な方法。その断片を集めて、ピナのイメージする方向にもっていくというやり方は、「問い」それに対する「答えかもしれない動き」、そしてその積み重ねによって、一つにまとめ上げて行く方法にとても興味をいだきました。
例えば、J-Lゴダールの映画のシーンには、問いと答えのやりとりのシーンがどの作品にもみられる。問い。問い続けるというその姿勢が、今の私の建築との付き合い方の基盤になっているといっても過言ではありません。

また、ゴダールもドイツでの講演にて、モンタージュを語った際、「あなた方の国の優れたモンタージュの使い手は、ピナ・バウシュとファズビンダーです」という旨の話をしていたくらい。

まだまだ、これについては語りつくせないところがありますので、また別の機会に。